流行り病に罹患した話

世間の流行には人一倍疎いくせに、先日某流行り病に罹患した。寮や外部団体での立場のこともあり、多くの人間に多大なる迷惑をお掛けしたのだが、それはまたさて置かせて頂くとして、某流行り病の恐ろしさを伝えることができればと思い記す次第である。

 

体の異変を感じたのは、7月中盤のとある日曜日の夜のこと。会議の後に、いつもはそんなことをしないのだが、椅子を並べてその上で寝ていた。小一時間ほど寝た後に、これじゃ休まるもんも休まらんと思い布団へ体を移す。寝付こうとしたが、今度は一向に寝付けない。1~2時間ほど布団の上にのたうち回ったあと、これは流石におかしいと思い熱を測った。この時点で38.5度。

 

僕はあまり体が強い方ではない。特に2年前にマイコプラズマ肺炎で入院してからというもの、特段弱くなった印象がある。1~2か月に一度はひどめの風邪をひく。今回もそれだろうと高をくくり、部屋員には僕の寝部屋に立ち入らないよう伝え眠る。いつもと同じく、寝たら熱が下がるものと思っていた。病院に行くこともこの時点では考えていなかった。そもそも、どこかからもらうようなことをした覚えもない。

 

しかし。熱は一向に下がらなかった。時折起きては差し入れられたポカリに口を付け、泥のように眠り続けた。毛布を冬のものから変えていなかったので、とにかく暑くて仕方がなかった。変えねばと思いつつ、夏用の布団を引っ張り出すのもめんどくさい。そんなことを思いながら2日間を過ごした。そして、二日後の夕方にようやっとちゃんと目を覚ました。熱は下がっていた。ほら見たことか、いつもの風邪だったのだ。

 

そこから一晩は通常の生活に戻った。授業の補講があった。課題は無論山積みだ。丸二日間関われなかった分、部屋の仕事もせねば。一通り終えて再び眠りについた。起きた瞬間に嫌な予感がした。熱を測ると39.5度。その日の朝の寮費支払い事務を変わってほしい旨を部屋員に伝え、病院に行くことを決めた。

 

しょちゅう発熱しているということを書いたが、こうなるともう慣れたもので、#7119に電話して発熱外来を紹介してもらい、受信することとなった。タクシーを使うのはもったいないので、自転車で行った。幸いにも解熱剤が多少効いていたので体は楽だった。医者は僕の喉を一瞥すると、「扁桃腺が腫れているため、それに起因する熱と考えられます。2~3日で改善するでしょう」と言った。

 

ただし同時に、「コロナの感染も考えられるため、PCR検査は受けてください」とも言った。今思い返せば英断である。この時点で、熱と頭痛以外の症状は無かった。聞き取りのみであれば問題ないとされるレベルだ。かくして検査を受けたのち、寮内隔離生活が始まる。

 

隔離された先でも、ずっと寝ていた。今回の欠席であの単位は落ちるな。僕がこんなことになっているのは不甲斐ないな。そんなことをずっと考えていた。気が付くと夜は明けていて、検査結果が届くとされている朝が来た。まあどうせ今回も陰性だろう。早くみんなの所へ帰りたいなと思っていた、というか願っていた。咳が出るのは気のせいだと思った。

 

10時50分、携帯が鳴った。本当の予定であれば、11時になったらこちらから連絡をするようにと言われていた。嫌な予感はした。「検査の結果陽性でした」医者はそう言った。眩暈がする思いがした。実際してたのかもしれないが。そこからはひたすら各所に連絡を取った。寮長、ゼミの教授、大学事務各所、保健所。慌ただしく電話をしつつ、時々眠った。気が付くと日が沈んでいた。寝る前に部屋員にドアの前に置いておいてもらった甘いジュースを飲んだ。美味しくなかった。

 

次の日は保健所からの電話で目を覚ました。入院か自宅療養かを判断する電話である。この時点で、かなり咳が出ていた。トイレに行くときに、壁に手をついていく必要があった。人と話をすると咳が出た。数年前に経験したもの、「肺炎」の文字が頭をよぎった。住んでいる場所が寮であることを告げ、なるべく自宅外での療養にしてくれと強く頼んだ。入院する運びとなった。

 

正直に言おう。自分が罹るまで、僕はこの流行り病を舐めていた。自分の周りでも罹患した人はいたが、どの人も軽症で済んでいたからだ。若者はそんな簡単に「重症化」するはずがない。かかっても数日寝ていれば治ると。

 

が、僕はもうこの時点で、「早く入院したい」という思いでいっぱいだった。何故か今年に限って北海道は猛暑だし、早いとこ涼しい部屋で点滴でも打たれて寝ていたかった。これは僕だけかもしれないが、肺炎の時は上を向いて寝ている方が楽だ。咳が出るだけなら、横を向いた方がよいと以前に誰かに言われたが、あくまで感覚として、肺炎になるといかれた方の肺を下にすると咳き込むし、逆にすれば逆の肺がキャパを迎える。総じて、入院の迎えが来るまで天井を眺めていた。

 

病院に着くと、全身ビニールのエプロンや帽子というものものしい恰好をした看護師が対応してくれた。傘のふちの周りにビニールが貼られた、歩くとしゃなりしゃなりとかいう効果音が付きそうな傘を渡され、そのままCTスキャンを経て病棟で運ばれる。

 

荷物を整理して、入院の説明が一通り終わった頃に医者がCTスキャンの写真をもって病状の説明をしに来た。その写真には見覚えがあった。指を指される前に、肺の一部分に白い影があることが見て取れた。(※写真右下、黒いはずの部分が白い)「肺炎の所見が見られるので、中等症です」と告げられた。うすうす気付いてはいたが。

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ここで初めて僕は「中等症」という区分があることを知った。おおむね、肺炎から判断できる分類なのだそうだ。では、重症とは?医者は人工呼吸器が必要なレベルだと言った。なるほど。(※これに関しては、以前Twitterで流れていた安川康介氏作成の表に詳しい。https://twitter.com/kosuke_yasukawa/status/1417233749079732227?s=20

「急変する人もいるけど、君は若いから大丈夫だよ」そういう医者の声がまじめなトーンだった。こういう時の、「大丈夫だよ」があまり大丈夫ではないことくらい分かる。海に沈んだ東京を眺めてかくのごとく言い放ったかの少年の台詞に近い。

 

もしかしたら死ぬかもしれない。本気でそう思った。一つに、効く薬がない。これが一番恐ろしい。確かに、「効くとされている薬」ならある。もっとも僕の場合は、投与したはいいが副反応が出て、全身が発疹だらけになって結局使用を中止したが。39度出るインフルが大して怖くない理由は、薬と予防接種があるからだ。

 

もう一つは急変のリスクだ。これは僕は病院に入れただけマシだった。四六時中、心電図とパルスオキシメーター(※血中の酸素濃度を測る機械みたいなの)に繋がれ、異常があれば看護師が飛んでくる。ナースコールを押せば看護師が来てくれる。自宅療養と病院が同じみたいなことを言う政治家はいるが、寝言は寝て言ってほしい。この安心感が、看護体制が、どれほど不安感と死亡リスクを減らすのか考えてみろと本気で思う。

 

急変のリスクについてのもう一つの話なのだが、院内放送の話がある。入院経験がある方なら分かるやもしれぬが、例えば緊急対応なら「コードブルー」という放送が鳴る。コロナ患者対応でも同じような放送が鳴った。「コード〇〇、~(場所)から救急外来/職員出口へ」といった具合にだ。一回だけ「地下室へ」という放送が鳴った。その意味を考えたくはなかった。なお、僕の病院には中等症患者しかいなかったと聞いている。

 

あのまま寮内で隔離されていたら、少なからぬ確率で死んでいたと本気で思う。

 

入院生活は暇だし、孤独を募らせるとろくなことがないので、遠方にいる友人とzoomを繋いだりしていた。あと、同じく寮内で隔離されていた部屋員が居部屋代わりのzoomを開いていたので時折顔を出した。話すと咳は出たけど、これにだいぶ救われる思いがした。

 

 

なんだかんだ、入院して3~4日もすれば熱も下がってきたので、退院が見えてきた。のんびりできるかと思ったが、そうもいかないらしい。それだけ病床もひっ迫していたということだろうと思う。発症から10日もすれば他者への感染性はほとんど無くなるということで、それに合わせて退院という運びとなった。

 

結局最終日には医師の回診もなく、バイタルチェックだけしてそのままリリースされた。若いから大丈夫だからと。僕はブラックバスかと思った。あれはリリースしちゃ駄目か。

 

ともかくもめでたく退院したはいいが、しばらく後遺症は残った。主たるものは咳と嗅覚障害だ。咳に関しては、退院してから1週間と少しくらいはゴホゴホしていた。寝ようとしたら発作的に咳が出て、しばらく眠れなかった日もある。嗅覚障害に関しては、いわゆる風味的なものが感じ取れない状態だった。分かりやすいもので言うと、どん〇衛が美味しくなかった。あれはだしの風味をもってめちゃくちゃ美味しい食べ物なので、そのだしのにおいが分からないと実はゲロまずなのである。

 

それも近頃だいぶ治ったので、一区切りとして筆を取った次第である。

 

貴重な(?)若者の中等症ということで、どなたかの参考になれば幸いである。もし以前の僕と同じく、若者だからと考えている人がいたら、ここは一つ認識を改めていただければと思う。あと、ワクチンに関しては僕は受けることを強く推奨させていただく。若者であるからとて軽症で済む保証などないので、自分のためにも他人のためにも是非受けてほしい。

 

この話を肴にして大人数で酒を飲めるのはまだ先か、それまで身の回りの誰かが欠けてほしくはない。ただそれを願っている。皆様体調にはお気をつけて。

 

余談:

大学生活4年中肺炎で二回入院。いずれも左肺。将来的に肺はやばそうだ。