「凪を祈らない」

生きていることで常日頃感じている感覚を言葉にするならば、それは波打ち際に足を浸していることと形容できる。

 

僕はいつも水平線を眺めている。凪いでいる日もあれば荒れている日もある。ひときわ高い波に見えても、たかだか膝下数センチを撫でていくだけのこともある。ひときわ低い波に見えても、大きくうねったそれが胸を流し心臓に冷たさを残していくこともある。

 

波に溺れて流されてしまう瞬間を最後としよう。ここから動いてしまえばよいのだが、動こうにも足はとうに動かない。だから僕はいつも海をただ眺めている。ひときわ高い波がいつか来て、僕を呑み込んでいく。その瞬間をただ待っている。

 

それはきっと仕方がないことだ。でも、ただ待つことも退屈なので僕は考える。空が「青い」ということを言葉にする方法を。歌を歌う。波の音にかき消されてしまいそうな声で、言葉を風に乗せる。空を見上げては、雲に乗っている怪獣を探す。何処からか聞こえるセイレーンの歌声に耳を澄ます。足に引っかかったサンゴを拾う。

 

いつの間にか夜は明けているし、日は沈んでいる。今日も膝が濡れている。最後が来ることを知っている。だけど僕は、凪を祈らない。