「一年後の夏」

 昨年のちょうど今頃、病院から退院した。普通だったら入院するほどではないマイコプラズマ肺炎だったのだけれど、医者にかかった時には既にだいぶ進行していたこともあり、そのまま10日間ほど入院することに相成った。

 

倒れる少し前、夜10時から朝4時までひたすら市場で野菜を運ぶバイトをしていた。海外インターンシップに参加することが決まっていて、その資金のためだった。バイトを終えて家に帰った後は、シャワーを浴びる気力もないまま布団に倒れこみ、授業が全部終わったころに目を覚ます。そんな毎日だった。

 

レポートを書こうにもインプットがないのに書けるはずもない、気が付けば取れそうな単位は消えていた。脚本を書こうにもそれに向き合う時間がない、ただ不安感だけが増していく。6個入りのメロンの箱を運んでいる最中にそれを思い出してしまうのだからたちが悪い。思いついた言葉はいつの間にか頭の中から零れ落ちていた。

 

そんな毎日を続けた上での肺炎だった。倒れる一日前には、何を感じたのかは知らないが、日の当たる窓辺で遺書を書いていた。倒れて布団の中にいるときも、このまま死ぬのだとしたら、よく頑張ったと誰かが言ってくれるんじゃないかとかそんなことをずっと考えていた。

 

遺書の内容はおおむねこうだ、夏の良く晴れた日に死にたいと。今背負っているものの全てが終わった時、自転車に乗って旅に出てそこで死のうと。一年後の夏に。

 

一年後の夏、なんやかんや背負うものがまたできてしまって、今日もなんとか生きている。きっと来年の夏も、同じような理由で生きているに違いない。

 

文責:遥晴(ネギ)