「ヒスイの街にて」

「ヒスイの街にて」

 

4月25日

 たどり着いた先は寂れた街だった。客待ちのタクシー運転手はあまりに暇を持て余したのか居眠りをしているし、駅前に目立つものといえばカラオケ屋くらいしかない。海へと続く商店街からはオルゴールの音が聞こえた。予約したホテルは駅前にあったのだが、ドアをくぐるまでそれと分からなかった。

 部屋に入ると耳障りな音とともに蛍光灯がうすぼんやりと灯る。猛烈な睡魔に襲われて、上着も脱がないままベッドに倒れこんでそのまま寝てしまった。電車に乗っていただけで何も生産的なことはしてないのに、そう思ったような気がする。

 

4月26日

 せっかく旅に出るのだ、日記でもつけてみよう。意気揚々としながら100均のB5ノートを買ったのに、まさか一日で挫折するとは思わなかった。昨日分の日記は今書いた。

 朝は轟音で目が覚めた。変な体勢で寝ていたためか足に違和感がある。腕時計を見ると時刻は五時だった。新幹線が通る駅だということをこの時に思い出した。外の空気を吸いに行こうと思い、脱ぎ散らかしたスニーカーに足を通した。

 空が微かに白んでいる。あたりに人通りはなく、カモメの声だけがこだましていた。商店街沿いに白い石が置かれている。きれいに磨かれたものもあれば、不格好な形をしているものもある。「ヒスイの街へようこそ」、石が鎮座している台座にはそう書かれていた。そうか、彼が言っていたのはこれだったのか。

 一通り街を歩いて部屋に戻る。コンビニが開いていたのは幸運だった。が、部屋の前に立った時、鍵を持っていなかったことに気が付いた。フロントは開いておらず、「非常時はこちらまで」と書いた札が置いてある。わざわざ起こすのもしのびなく、もう少し街を歩き回ることにした。

 そろそろ時節としては春になるとは言え、日本海の波は荒い。海岸沿いに見渡す限り並べられた消波ブロックの間には、昆布と思しき海藻やハングルで書かれたペットボトルなどが取り残されていて、夜の波の激しさを思わせる。コンビニで買ったおにぎりの海苔が風に吹き飛ばされてしまったのが口惜しい。

 明るくなるのを待ってなんとか部屋には帰れたものの、ここまでの日記を書きつけたところで急に体調が悪くなってきた。防寒具の持ち合わせがなかったのが悪かった。頭痛がひどい。今日は一日寝ていることにする。

 

4月27日

 またも轟音で目が覚めた。頭痛はなかったので、日中の暖かい時間を待って外に出ることにする。目的の海岸は隣の駅からほど近いところにあるらしかった。電車は閑散としていて、けだるそうに単語帳を眺める女子高生が隅にぽつりと座っていた。

 海岸というからには砂浜を想像していたのだが、そこは一面に砂利が広がっていた。記憶が正しければ、ここにヒスイがたくさん落ちていてすごい値段が付く、などと彼が言っていたような気がするのだが、甘かった。どれがヒスイなのか全くもって分からない。そもそも、そんな宝の山に誰もいないはずがない。青い水平線を一人眺めた。

 白っぽい石を見つけては手持ちのペットボトルに放り込んだ。下手な鉄砲でも数を打てばいいのだ。小一時間経つ頃には500mlのペットボトルが満杯になった。ふと声をかけられて振り向くと、腰の曲がった老人が立っていた。巨大麺切り機?とでもいえばいいのか、竹竿の先に「ざる」を付けた何かを持っていて、見るからに玄人感が滲んでいる。「見てやる」というので好意に甘えさせてもらったところ、一笑に付された。いわく全部石英だそうだ。見つけるコツを聞くと、「波打ち際で光っているのを探せ」と言われたのだが、結局よく分からなかった。波に濡れた石は全部光っている。

 波打ち際を探してみたりもしたが、一度海に落ちそうになり結局諦めてしまった。苔むした地蔵に眺められてはたまらない、そんな合唱曲があったのを不意に思い出した。沖もぼうぼう夕暮れるので帰ることとする。

 

4月28日

 することもないので一日海を眺めることにする。一時間で飽きた。そんな時はものを書くものと鎌倉時代から相場が決まっているので、今日の日記はここで書いてしまおう。

 古い友人が自殺した、と二週間ほど前に人づてに聞いた。彼とは仲が良かったということだけ覚えているのだが、具体的にどう仲が良かったのかもう思い出せない。分数の通分を放課後にひたすら教えたような気もするが、違う友人だったかもしれない。カードゲームのデッキをくれたはいいが、それを使って初心者の僕が勝ちそうになったら、嘘のルールを教えて負かされたような気もする。いや、後者はあったはずだ。思い出したら腹立ってきた。文章にすると思い出すことがあるのは不思議だ。

 ともかく、彼のことを思い出そうとしたときに真っ先に出てきたのがヒスイの話だった。小学生の僕にとってその話はひどく魅力的で、遠く彼方の地に思いをはせたのをよく覚えている。墓前にヒスイでも供えてやるか、そんな理由にかこつけてここまで来たはいいが、手持ち無沙汰になってこうしてただ海を眺めている。

 中学で疎遠になって以降、連絡を取ることもなかった。だから、悲しいとは特には思わなかった。風のうわさで、家を出て一人暮らしをしながら大学に通っているらしいとは聞いた。その境遇は僕もよく分かる。彼は一体何を思って死んだのだろうか。

 

 気が付いたころには眠ってしまっていた。帰路を急ごうとしたものの、帰りの電車が二時間先であることには非常に参った。結局肌寒い駅舎の中で待つことになった。また風邪がぶり返さなければいいが。

 

4月29日

 日程の都合上、今日で帰ることとする。時間の余裕はあったので、また海岸へと足を運んだ。海は昨日と変わらず凪いでいて、水平線の向こう側で空と溶けている。

 結局ヒスイは見つけられずじまいだった。ペットボトルに残った砂利を持って帰ろうかとも思ったが、部屋に置いておくにも邪魔だ。それに意外と磯臭い。一つだけ残して、それ以外は捨てていくことにした。手で掴んで思い切り空に放り投げた。

 その瞬間にふと思い出したのだ。転校生だった僕は、転校先の小学校でいじめを受けた。机がひっくり返されるとか、教科書がなくなるとか、石を投げられるとか。そんな僕を初めて守ってくれたのが彼だった。死にたくてたまらなかった僕を生かしてくれたのが、彼だったのだ。

「なのに君が死んだら、意味ないじゃないか。」

 そうつぶやいた声は波の音にかき消された。たまらなくなってもう一度石を放り投げたその時、雲間からのぞいた太陽に照らされた石の一つが瞬いたのを僕は確かに見た。僕は確かに、そこにヒスイを見たのだ。

 妄想で一向に構わない。また彼に救われた、そんな気がした。

 

 手元に残った石一つは、いつまでも光る気配を見せない。だけど、そのうち故郷に帰った時にでも供えに行ってやろうと思って、今も部屋に置いてある。

 

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 旅行したい欲をこじらせたので、今日が旅行の最終日になる設定の日記兼小説みたいなものを書きました。7割はフィクションです。