「どこかで聞いた歌」

  冬を迎えつつある街の寒さは日に日に厳しさを増していく。そろそろ手袋を出そうなどと考えながら、かじかんだ手でポケットの中のカイロを握る。どこからかクリスマスソングが聞こえた。ふと目をやると、路沿いのレストランが既にツリーが飾ってあることに気が付いた。漏れ出す光はとても暖かそうで、一人歩く自分の惨めさが足を速くさせた。

 

交差点を右に曲がり人通りのない小路に入ると、街の喧騒はだいぶ遠くなった。奇妙な静寂はかえって落ち着かず、耳にイヤホンを当てようとした。その時、ふと耳にかすかな声が飛び込んできた。路の向こうで誰かが歌っている。この寒い日に路上ライブだなんて、まあ随分と酔狂な話だ。そう思った。

 

果たして小路を抜けた先に彼はいた。先が毛羽立ったマフラーに傷だらけのギター、そして俄かに信じがたいかすれ声で何かを歌っていた。指には冬椿のような赤が滲んでいる。通り過ぎてもよかったのだが、道行く人々が誰も立ち止まらないのが不憫に思われて、ふと足を止めてしまった。

 

 下手くそな彼の歌からは懐かしい匂いがした。少年の小さな逃避行の話、手のぬくもりを求めた話、雨に掻き消えてしまった花火の話。いつの間にか色あせてしまった過去を忘れてしまわないように紡ぐ歌、そんな歌だと僕は感じた。いつの間にか時間が経っていて、彼が最後の音を弾いた時には道行く人はほとんどいなかった。

 

「ありがとうございます。」

 

 唐突にかけられた声に僕は戸惑って、口ごもりながら肩をすくめた。彼は苦笑いしながら、手早くギターをしまって「それじゃ」と言って小路へと歩いて行った。その時何を思ったのかはよく覚えていないのだが、遠のく彼の背中に僕は声をかけた。

 

「あの!」

 

 足を止めた彼が振り向く。

 

「僕、本当は嫌いじゃなかったです、あなたの歌。」

 

 初めて会った人に僕は何を言っているのだろう、そう思った。彼は少し照れ臭そうに「ありがとう。」と言って街へと消えていった。一人残された僕は、暖かい家への路を急いだ。

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 以下との連作です。

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文:遥晴