「泡立草」

1.

 初めて会った時、彼の声をどこかで聞いたことがあるような気がした。不思議なことに貴方の声を聴くととても落ち着くのだ。でも、どこで聞いたのかは思い出せない。

 付き合って二年が経つ頃、彼の体は今や見る影もなく痩せてしまっていた。病室には黄色い花が入った花瓶が一つ。夕暮れがシーツをオレンジに染めていた。

「この花さ、泡立草って言うんだよ。実家の近くの空き地にいっぱい咲いててさ。綺麗なんだけど、花粉が凄いんだよ。それさえなければいいのにね。」

そう言いながら、零すつもりのなかった涙がシーツの隅を濡らしてしまった。

「……花言葉は『元気』なんだって。昔誰かが教えてくれたんだ。」

彼が私の手を握る力が段々と弱くなっていく。私はそれをごまかすように、ひたすらしゃべり続けた。

「そうだ、思い出した!その人だよ、君に声が似ている人。変な人でさ、カボチャを頭にかぶってて……」

彼の手は私の手の中から滑り落ちていった。

 

2.

 寿命を宣告されたとき、こんなあっけなく人は死んでしまうのかと他人事のように感心した。最初の2週間はただ淡々と部屋の片づけをした。次の2週間で身の回りの手続きと親類への連絡を済ませたが、それでもやはり死の実感は湧かなかった。

 ただ、余命1か月を切ってからいよいよ体がやつれ始め、ようやっと死の近づきを実感した。未練と言えば、君のことくらいだった。

 いつからか、目を開けるのが億劫になっていた。瞼越しに日の光を見れば今はきっと朝なのだと思う。その程度だ。

 その日、ベッドの隣に誰かの存在を意識した。僕の手を握る君とは別に。目視はできないし音もしない。でも、誰かがそこにいるのだ。これがお迎えというやつか。死ぬことは怖くない。ただ、君に申し訳ないとだけ思った。

 せめて、君に一言でも言い残しておけばよかった。もしも神様がいるとしたら、最後だけは願いの一つくらいは叶えてくれないだろうか。そんなことを思いながら目を閉じた。

 

3.

 目を開くと、街角に一人で立っていた。服は病院服のまま。店のガラスに映った顔はひどくやつれていた。商店街はハロウィンをまだ忘れていないようで、至る所に装飾の残骸が落ちていた。小路の向こうから子供たちの笑い声が聞こえた。覗いてみるとそこには黄色の花に彩られた一面の原っぱ。三人の少年と、その中に一人の見覚えがある少女がいた。

 このひどい顔を隠せるものが欲しくて周囲を見渡すと、都合よく中抜きカボチャが転がっていた。頭にはめ込み、恐る恐る小路から出ていくと、子供たちは一瞬その動きを止めた。がそれもつかの間、「とりっくおあとりーと!」などと言いながら突っ込んできた。

 虚弱な体はあっという間に草むらに押し倒される。「こいつよえー」「おかしはー?」「もうおわっちゃったよー」。無邪気とは時に容赦ないものだ。

「君たちは、まるでこの花そのものだな。」

青空を見上げながら、ぽつりとこぼす。少年の一人が「どーゆーこと?」と僕を見下ろしながら尋ねる。

「この花は、『元気』の花なんだよ。」

 「へー」「なんかつよそう」「たしかに」口々に言うや否や、少年たちは花を手折りそれでチャンバラを始めていた。僕は立ち上がって息を大きく吸って叫んだ。

「少年少女たちよ!」

子供たちが全員一斉に振り向く。

「これからきっといくつも、辛いことがある。だけど……精一杯生きるんだ!」

数瞬の沈黙の後、「なんだそれー!」「よくわかんねー」「いみふめー」と散々な言われようを受けた。その少女が、僕に尋ねる。「どうして、ないてるの?」

 カボチャを被ったところで、流れる涙は止められなかったらしい。最後までかっこつけさせてくれなかったな君は。

「これは、×××××××××。」

 これが夢でも構わない。だって、君に一目会えたのだから。

 

4.

 彼の墓はよく日が当たる斜面に立てられていた。

「久しぶりだね。」

無論、返事なんてあるわけがない。

「こんな私でもいいって言ってくれる人ができたんだ。だから、ごめんね。しばらく来られないかもしれないや。」

静寂の後、梅雨明けの暖かい風が頬をくすぐった。「泣かなくていいよ。」そんな声が聞こえた気がした。気のせいなのは知っている。でも、彼なら言いそうだとも思った。

「大丈夫だよ。」私も空に向けて言葉を溶かす。

 

「これは、泡立草のせいだから。」

 

頬を伝った涙を初夏の風が優しく拭いていった。

 

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座の脚本として最初に考えた話です。あくまで、脚本として成り立たせにくかっただけで物語としては結構気に入っています。