「神様の話」
ピアノを弾いている時、僕の隣に神様がいた。
僕が鍵盤を一つ弾く度、弦が空気を揺らす度、優しい表情で微笑みながら目を閉じるのだ。
神様が嬉しそうにしているのを見るのが、僕は好きだった。
だから一生懸命練習した。
指がどんなに疲れても、弾けないのが悔しくて涙をボロボロに流しながらでも。
弾けるようになるまで弾き続けた。
いつの間にか、神様がいない日が増えた。
でも平気だった。
次会ったらどんな演奏をしてやろう。そう考えるとワクワクした。
ある日、ベートーヴェンの「エリーゼのために」を弾き終わった時、後ろから拍手が聞こえた。
「久しぶりだね。」昔と変わらない表情で神様は笑う。
「君の音はとても美しい透明だ。」満足そうにそう言った。
そうして一呼吸置いた後に、
「少しお別れしなくちゃいけないんだ。」と神様は突然にそう告げた。
「何で?」と返す僕に、「大丈夫、いつかまたきっと会える。」と微笑みながら言う。
不服そうな僕の横から神様はすっと手を伸ばして鍵盤に触れた。
その瞬間、ピアノが歌声を上げた。
その音は一瞬で空気に溶けて、僕の体を柔らかく包んだ。
魔法みたいだ、そう思った。
「この音を出せるようになること。次に会うまでの宿題だ。」
少しいたずらっぽく神様は笑った。
そして、そういうや否や、まるでそこに何もなかったかのように消えてしまった。
今でもまだ僕は、神様に会えないでいる。
あの音は僕の耳に残ったままだ。
『少年の話』
恵迪寮文芸部誌への寄稿作品。以下本文。
田舎の暮らしっていうものは、多分だけど世間一般に思われているほど楽じゃない。たまに、そういうお話は世に出るのだけれど。例にもれず、この話もそんな感じだ。
何が辛いかって、色々あるのだけれど、ありきたりなことで言えば、携帯電話が通じないこと、バスが一時間に一本しかないこと、とかだと思う。
中でも僕が一番嫌だったことは、狭い土地ゆえの繋がりの濃さだった。誰が、いつ、どこで、何をしていたのか。それぐらいなら、集落の人全員に把握されうると思った方がいい。はっきり言って、SNSなんかよりよっぽどたちが悪いと思う。
ある日、僕は川の近くで木の実を採っていた。「やまなし」の実だ。宮沢賢治の小説に出てくるやつ。クラムボンが笑ったよ、って話。教科書で見たことがある人もいると思う。こいつがまた、高い所に生る。仕方がないので竹ざおで叩き落として下に座布団を敷いて、何とか採った。
そうしたら、次の日の朝突然に家のチャイムが鳴らされて、ご近所さんが文句を言いにやってきた。「あれはうちの土地の木だ。」って。今思えば僕が悪い。土地の境なんて知らなかったけど、法に触れる行為ではあったと思うから。
でも当時の僕が思ったことは一つだけだった。
「こんな所、逃げ出してやる。」って。
子供だから難しいことは分からなかったけど、新参者である僕たちが、いわゆる「よそ者」が嫌われているのは想像できた。だから、それ故に僕がした行いのせいで、ますます家族の肩身が狭くなったのが許せなかった、のかもしれない。今思うとだけど。本題に戻ろう。
七月の初めの頃だったと思う。梅雨が終わって数日が経っていて、それを喜んでいるかのようにアブラゼミが馬鹿みたいに煩かったような記憶がある。
なるべく人目につかない所へ、お寺の墓をくぐって、ロープが張ってある林道を抜けて。舗装もされてない砂利道をひたすら走り続けた。まるで、お化けでも出そうな暗い杉林を抜けたら、目の前に一軒の家があった。
それなりに立派なお家で、なんというか周りが森に囲まれているのに、そこだけまるでぽっかりと風穴が空いたみたいだった。
それでいて、不思議なぐらい人の気配がしなかった。縁側とかはとても綺麗だから、誰か住んでいそうなんだけど、なんだろう、すごく静かで。近くに流れている沢の音だけがずっと耳に響いていた。
中を見てみたいなっていう好奇心と、不気味だから引き返そうっていう感情が、僕の中で戦っていた。でも、その時に頭の中に例のご近所さんの顔がちらついた。そして思った、「近づいたら怒られる。」って。田舎の人は、意外と土地に厳しい。それこそ、都会の人以上に。
引き返そうと向き直ったら、後ろから、
「君はどこの子?」
って声をかけられた。あまりにびっくりして、「ひっ」とかいう間抜けな声を上げながら地面に転んでしまった。
「大丈夫?」
手を差し伸べてきたのは、僕と同じくらいの少年だった。
僕はまず彼の足元を見た。慣用句じゃない、文字通り。ちゃんと足があるのを確認してから、僕は立ち上がった。土をはたきながら少年の方に向き直り、答える。
「山の下の、○○の信号の近くの家の。」
「××さんの家?」
「もう一つとなり。」
「ああ、△△さんの家か。」
「違うよ?」
「あれ、倉庫にはさまれてる家だよね。もしかして××さん引っ越しちゃった?」
「多分、その家だと思う。でも、前にいた人はもう死んじゃったって。」
そう言った時、少年は少し悲しそうな顔をして、「そっか。」とこぼしていた。そのあとはうまく聞き取れなかったんだけど、「もうそんな経っちゃったのか。」、そうつぶやいていた気がする。
「それで、なんでこんなところに来たの?」
一番触れてほしくなかったことを、いきなり聞かれた。
「別に、ちょっと散歩に来ただけ。」
嘘だってばれないように、なるべく平静に言ったつもりだったんだけど、
「本当は?家出でもしたの?」
核心を突かれてしまって、僕は沈黙するしかなかった。そのまま、少しの沈黙が続いたのち、少年は頭を掻きながら、「まあ、いっか。ごめん。」と、そう言った。
その少年は、なんて言ったらいいんだろう、ふわっとしていた。別に軽率そうとかそういうわけじゃなくて。どこでもいそうな気がして、何だったら会ったことさえありそう。僕は小学校に転校してきたばかりだし、ひょっとしたらもう会ってるのかも、とそう思った。
二人の間にひとしきりの沈黙が流れた後、突然その少年は手をたたいて言った。
「よし、じゃあ鬼ごっこしよう。」
「へ?」
唐突な提案に思わず変な声が出てしまう。
「何で鬼ごっこ?」
「えー、遊びって言ったら鬼ごっこでしょ。」
「二人でやるの?」
「細かいことは気にしない、はい君が鬼でスタート!」
言うが早いか、少年は山に向かって駆け出していた。
「しょうがないなあ。」
僕も渋々、後を追って駆け出した。
この少年が速いのなんのって。思い出すだけでもすごかった。ほぼ道がない山道を、どんどん駆け上がっていくのだ。
どれだけ頑張っても追いつけなくて、でもたまに「大丈夫?」って叫んでくるのが妙に癪で、息を切らしながら走り続けた。ようやっと追いついたころには、山を一つ登ってしまっていた。
「見て見て。」
本当にさっきまで走り回っていたとは思えないほど無邪気な声で、少年が指をさす。僕は、息が上がって字面に腰を下ろしたまま、顔だけ上げた。
いつの間にか、目の前に木はなくて、ひたすら風景が広がっていた。それだけじゃない、ずっと遠くの景色まではっきり見えた。雲がゆっくりと動いていて、青空がいつもよりも近かった。僕はその風景を、口をポカンと開けながら見ていた。
「ここさ、僕のお気に入りの場所なんだ。」
「だから、内緒な。」
少年は人差し指を口に当てて、シシシッと笑っていた。
「ほら、見て。あそこが君の家だよ。」
少年が指をさす先を見ると、灰色っぽい瓦の家が見えた。
「小さいな。」
僕はそうつぶやいていた。
「小さいね。本当に。僕らの世界は小さいや。」
「あそこの奥の卵みたいなの、分かる?」
少年が指さす方を目を凝らしてみると、確かに卵みたいなのが見える。
「何あれ?」
少年はニヤッとして言う。
「あれさ、西武ドームなんだぜ。」
「あれが?」
「そうあれが。」
一瞬沈黙したのち、二人して大声で笑ってしまった。「小さいな。」って。馬鹿みたいにはしゃぎながら。
「辛いことあったらさ、とりあえず高いところ行けばいいんだよ。全部小さいなって思えるからさ。」
少年が空を見ながらつぶやく。
「でも、馬鹿は高いところに登るって言うよ。」
僕の言葉に彼はまたニヤッとして、
「馬鹿っていうやつが馬鹿なんだ。」
と言った。
「確かに。」
また、二人して笑ってしまった。
その後は、その少年がぽつりぽつりと景色の紹介をしてくれた。
「あの山にはイノシシの巣があるんだ。」とか、「あそこの斜面には冬になるとイチゴが生るから、ジャムにするといいよ。」とか、「あそこの林に餌を置いとくとミヤマクワガタ狙えるよ。」とか。
ひとしきり話し終えたころには、少しずつ空が赤くなり始めていた。
「そろそろ帰ろっか。」
といった少年に、
「うん。」
と、名残惜しさを感じながらそう答えた。
来た道とは違う道で山を下りた。ある程度まで降りたところで、少年が、
「ここをまっすぐ行くと君の家の近くに出られるよ。」
と言った。
「君は大丈夫なの?」
と聞くと、「ここらの山は慣れてるから」と笑いながら言っていた。
「それじゃあ、また会えたら。」
僕がそう言うと、「うん。」と少年がうなずきながら手を振ってくれた。
山道を抜けると、そこは僕の家の裏手だった。来た道を振り返っても、そこには道なんてなくて林があるだけだった。
帰宅した僕を待っていたのは、「やまなしの件」と「家出の件」による猛説教だった。それぞれの件に関して、一時間ずつぐらいお叱り受けた記憶がある。なかなかに怖かった。
その説教のせいで、僕はしばらくその少年のことを忘れてしまっていた。でもその年の八月に、かなり大きな台風が来て、不意に、あの家は大丈夫なんだろうかということを思い出した。
台風が去って、沢の水も引いたころ、一人でもう一度あの少年に会いに行こうとした。お寺の墓場を抜けて、林道のテープをくぐって。
もう分かったと思う。そこには家なんてなくて、ただ、森にぽっかりと穴が開いているだけだった。言うまでもなく、学校でもその子に会うことはもちろんなかった。
彼は何だったのだろうか。もしかしたら山の神様とか、幽霊かもしれない、ひょっとしたら、狸に化かされたりしたのかも。だったら、ちょっとかわいいなと思う。
ともかく一つだけ、あの少年と会ってから、田舎もそこまで悪くはないなと思えるようになった、そんな話。
政策
あるところに、そこそこの大きさの都市がありました。その都市は、将来の展望に悩んでおりました。そこそこ優秀な大学があるため、多くの学生が来るものの、彼らは卒業と同時に大都市へと出て行ってしまいます。
なんとか優秀な人材を繋ぎとめておきたい。そう考えた政治家は、様々な人に策を求めました。ある人はこう言いました。「住み良い街を作ればいいんだ。」政治家は、バリアフリー政策を推し進め、街の人気は確実に向上しました。
しかし、「老後にも住みやすい街」とのイメージにより高齢者が多くやってきたため、雇用が生まれずに若者はやはり大都市へ。
ある人はこう言いました。「雇用を増やすべきだ。」政治家は工場を作りました。空港の近くに作られた工場は、団地を備えていたため確かに人口は増えました。
しかし、大学を出た優秀な若者はなかなか工場には就職しません。増えたのは、低所得層と外国人労働者のみでした。
頭を抱える政治家に、とある企業はこう言いました。「この土地から離れなくすればいいのさ。」首を傾げる政治家に企業は続けます。「3年待ってくれれば、確実に成果を出そう。」政治家はその企業に賭けることにしました。
企業はまず、大学生の生活に注目しました。大量のレポート、重なる夜更かし、サークル活動、彼らはとても多忙でした。そんな彼らが欲するのは、眠らなくても元気に活動できる方法だ。そう結論が出ました。
そして企業は度重なる研究の末、ついに開発しました。とても甘くて、それでいて眠くなくなる不思議な飲み物。そしてそれは瞬く間に、学生へと普及してのです。政治家への提案から、1年が経っていました。
2年が経った頃、政治家は企業に中間報告を求めました。実のところ、あまり成果が見られていなかったのです。企業はこう答えます。「貴方もこれを飲めばきっと分かります。」
訝しげに政治家はそれを飲みます。何の変哲も無い、普通の清涼飲料。「それを飲みながら、あともう一年だけ待ってみてください。」政治家は渋々従いました。
それから一年を経ると、瞬く間に成果が出ました。卒業した大学生が、そのままその都市で就職をするのです。政治家は企業を褒め称えました。「素晴らしい。貴社はこの都市の救世主だ。」企業は笑いながら答えます。「礼には及びません。我が社もかなりの収益を得られました。」
「いったいどんな秘密があるんだ。」政治家は尋ねます。企業は答えます。「それは企業秘密ですよ。それより、少し体調が優れないようですが、大丈夫ですか?」
政治家は一瞬ためらった後、「おっとすまない、今日の分を飲まないと。」机の引き出しを開いて、清涼飲料を飲み始めました。「これを飲まないと、1日が始まらない気がするんだ。」「そうでしょうともそうでしょうとも。」企業がニヤリと笑いました。
朝の都市を歩く人は、とても眠そうです。フラフラとしながら、彼らはコンビニに入り口を揃えてこう言います。
「ガラナを、一つください。」 fin.
北海道で暮らす者しか知らないであろう炭酸飲料「ガラナ」。見た目はコーラだけど、もう少し薬っぽくてカフェインが効いてます。僕は時すでに遅く、これ無しでは生きられぬ体と成り果てました。めでたしめでたし。
バンコク見聞録〜その3〜
胃腸薬は必要です。やっぱり腹は壊しやすいし、あると便利だと思います。あと、気をつけなきゃいけないのが、トイレは意外と無いってことです。駅とコンビニには無いです。日本人からすると意外だと思いますが。(本当にヤバかったら駅員さんに頼み込むと職員トイレに入れてくれるかもしれんけど、保証はないですね。)可能な限りホテルで済ませて、街中だったら大きめのデパート的な建物には高確率であるからそこで。次も重要なことですが、トイレットペーパーは常にあるとは限らないんで、ジップロック等に入れて必ず持ち歩くようにしてました。
話変わって食料の項目の続きだけど、水分と塩分を切らすとすぐに頭痛が来るので要注意です。二度目だけど水分はとにかく多めに持っとくことを勧めます。
あと、真面目に言うけどラジオ体操するといいです。航空機とかバスとか狭いところにいると滅茶苦茶肩凝って、それが原因で頭痛になったりするんで、隙を見つけてやるべきだと思います。自分も頭痛に苦しんだけ、ラジオ体操したら治りました。本当です。
ひより系寮生の戯言
寮の話。
最初に断っておくけど、別に恵迪寮が嫌いなわけではないです。僕の友達の約半分が寮生なのは事実だし、生活費が安いおかげでめちゃくちゃ助かってるし。部屋にいつも人がいるのは安心するし、「ただいま」や「おかえり」が言えるのは幸せなことだと思うし。
だけど、複数部屋に暮らしているくせにどうなんだって話なんだが、「寮の文化」には僕はどうにも馴染めない部分がある。
なんでだろな。たぶん、「文化」を盲目的に継承してるからじゃないのかなと思う。とても失礼な物言いなのは承知の上ですが。
「北食前情宣って例年通りでいいんか?」って議論は存在していたと記憶している。まあ結果はご存知の通り。
色んな意見があるけど、例えば個室勢(いわゆる「恵迪寮生」的ではない方々)からすれば愉快じゃないと思う。だって、彼らはああいうことしないのに「寮生」として同一視されうるから。
個室勢の友人が、自分から「恵迪寮在住」を名乗ることがない(名乗れない?)のはそういうことじゃないかと推測する。
逆の意見もある。「こんなこと寮生でしかできないから、やるべきだ」って言う意見。こっちは複数勢(いわゆる「恵迪寮生」的な人が多く属する集団)の意見だと思う。
うーん、一理はあると思う。僕も寮歌歌うの結構好きだし、相撲大会も楽しみだし。こんなこと寮生じゃなきゃできないね。女装も新鮮でちょっと楽しかっ…今のやっぱ無し。
ただし、そういった「文化」は常に「再検討」をし続ける必要があると僕は考える。
色々例が出せるけど、書けるものがなかなかないねえ。自分にも不利益が及びうるので。
例えば、部屋回りでサクシュ川に入って心臓麻痺した寮生がいたらどうしよっか。または、ファイヤーストームで重大な事故が起きたら?とかかね。(外部から聞いたらやばそうに聞こえるけど、内部にいる人からすると当たり前に存在してきた「伝統」なんだよね)
どうもそういう風に、「伝統」を大義名分として過激なことを反省(=再検討)なく続けてる節がある気がして、僕はその点が好きじゃない。
北食前情宣の件についても、盲目的に続けられてる点がどうにも好かない。寮の多数派である個室勢の目線に立ったらどうなんだろうか?もっとも、実行するのは複数勢なので、認識に乖離があるのは当然といえば当然だけど。
落としどころが見えねえなこの話。
僕個人の意見を口にすると、やっぱり恵迪寮が「経済的困窮者のための厚生的施設」である以上、一部の人によって過激なイメージがもたらされて、入りたいけど諦めてる人がいるんじゃね?っていう懸念があるのが残念なんです。その点から、やっぱ程々にしとくべきなんじゃないかなと思うのです。
「程々」の落とし所は明確には言いがたい。だけど、「再検討」のプロセスを踏むことで今の現状よりマシな妥協点が見出せるのではないか。僕はそんな風に思います。
バンコク見聞録~その2~
交通事情編
主な交通手段は、大体三つです。バス・電車・タクシー(トゥクトゥク)。いずれも、特に時刻表とかがあるわけじゃなくて、道路を走っているのを捕まえる感じです。バスに時刻表がないのは、日本人にとっては意外かもしれない。僕は、結構合理的なシステムなんじゃないかなと思いました。(少なくとも都会においては)
バスはそれぞれ番号が割り振られてるので、自分の目的地に何番のバスが行くのかを事前に調べておく必要があります。そして、その番号のバスが通るバス停で待ってる感じです。バスの番号と行先の対応表は、『地球の歩き方』とかに載ってます。最悪の場合は、行先の方向を地図で確認して、そっち方面に行くバスに乗る方法もあるけど、よっぽど地図感覚にたけてる人じゃないとおすすめはしないです。
バスの値段は、走行距離や冷房の有無で決定します。確か、冷房車と非冷房車の見分け方があったはず。車体の色だった気がします。お金の支払い方としては、バスの中にいる運賃回収係のおばちゃんに行先を告げてその場で払う形です。紙幣で渡すと、微妙な顔されることもあったので、なるべく小銭を持っておくとよいかもしれないです。あと、どうしてもバスの行き先がわからないときは、このおばちゃんに聞いてみると答えてくれます。
電車に関しては、長距離の移動用です。バスで最寄りの駅まで行って、そこから乗る感じにしてました。券売機が新札の紙幣しか受け付けてないんで、新札or大きめの小銭を持っておくとよいです。どうしてもなかったら、窓口に行けば両替してくれます。
トゥクトゥクは、僕はあまり勧めません。というのも、値段の相場がきっちり決まっているわけじゃないし、わりかし吹っ掛けてくる可能性もあるからです。英語で値段交渉ができるって人がいたら、利用するのもありかもしれないですが。タクシーに関しては、一つ気を付けなければならないのが、時間制であるという点です(日本は距離制)。バンコク名物交通渋滞に捕まったら多分結構地獄だと思います。ただし、トゥクトゥクとタクシーに関しては、ほぼどこでも(バスが通る道路でなくとも)捕まえられるのでその点は便利です。
追記ですが、バンコクは交通渋滞が本当にひどいです。この点非常に注意です。
バンコク見聞録~その1~
食糧事情編
今回は、他者に向けての文章にします。バンコクでの記録をもとに、タイへ出かける友人のために作成した報告書のような文章を改稿したものです。タイ(あるいは東南アジアの他の国)に出かける際などに、さらっと目を通していただけると嬉しいです。
食糧・交通・健康・情報・その他諸注意の項目別にまとめました。
本項では、食糧事情について。
バンコクに限って言えば、かなり栄えているので、街を歩けば簡単にコンビニが見つかります。セブンイレブンとファミマが多かった印象がありました。とりあえず困ったらコンビニ。なんでもあるんでやっぱり便利です。難点は、少し値段の相場が高いかなという程度です。
水に関しては、まず一番重要なことを一つ。”絶対に”水道水を飲まないこと。飲んだら、旅行期間中ホテルにひきこもることが確定します。うがいくらいなら大丈夫っぽかったけど、万全を期すならやめたほうがよいかと思います。
水分補給方法はボトル入り飲料水でした。僕らは500~600mLのペットボトル単位で買ってました。2Lとかの大きいペットボトルでも値段は大して変わらないので、おとなしくこまめに買ったほうがいいと思います。衛生面的にも。
水にまつわる怖い話をすると、屋台のジュースもワンチャン危ないらしいです。使っている氷が不衛生な環境で作られたものだったり、ジュースを作るミキサーを洗う水が汚れてたりすると、当たることがあるのだとか。ちなみに、去年に先輩がそれで地獄を見たらしいです。五日間ホテルにひきこもったとか。
あれおっかしいなあ、今回の旅行で先輩と結構な回数屋台のジュース飲んだ気がするんだけどなあ。先に言っといてくださいよ先輩。まあ、腹壊さなかったからセーフです。
あとあれだ、タイ料理は辛い。というか、香辛料が効いてるんで大なり小なり腹にはきます。タイ料理食べるなら、よっぽど消化機能に自信がない限り多少腹壊すのは仕方ないかなと思います。日本からインスタント味噌汁とか持ってくと、いざって時に便利です。ビバ日本食。
あとは、塩分チャージ飴があると便利かもしれないです。汗かくので
おまけ(カンボジア編)
コンビニ?どこ探してもないですね。小さなスーパーはそこそこあったんで、買い出しはそこでしてました。あとは変わらないかな。あ、安すぎるレストランで食べると日本人は簡単に腹壊すよってホテルの人に脅されました。それぐらいです。