『少年の話』

恵迪寮文芸部誌への寄稿作品。以下本文。

 

 田舎の暮らしっていうものは、多分だけど世間一般に思われているほど楽じゃない。たまに、そういうお話は世に出るのだけれど。例にもれず、この話もそんな感じだ。

 

 何が辛いかって、色々あるのだけれど、ありきたりなことで言えば、携帯電話が通じないこと、バスが一時間に一本しかないこと、とかだと思う。

 中でも僕が一番嫌だったことは、狭い土地ゆえの繋がりの濃さだった。誰が、いつ、どこで、何をしていたのか。それぐらいなら、集落の人全員に把握されうると思った方がいい。はっきり言って、SNSなんかよりよっぽどたちが悪いと思う。

 

 ある日、僕は川の近くで木の実を採っていた。「やまなし」の実だ。宮沢賢治の小説に出てくるやつ。クラムボンが笑ったよ、って話。教科書で見たことがある人もいると思う。こいつがまた、高い所に生る。仕方がないので竹ざおで叩き落として下に座布団を敷いて、何とか採った。

 そうしたら、次の日の朝突然に家のチャイムが鳴らされて、ご近所さんが文句を言いにやってきた。「あれはうちの土地の木だ。」って。今思えば僕が悪い。土地の境なんて知らなかったけど、法に触れる行為ではあったと思うから。

 でも当時の僕が思ったことは一つだけだった。

 

「こんな所、逃げ出してやる。」って。

 

 子供だから難しいことは分からなかったけど、新参者である僕たちが、いわゆる「よそ者」が嫌われているのは想像できた。だから、それ故に僕がした行いのせいで、ますます家族の肩身が狭くなったのが許せなかった、のかもしれない。今思うとだけど。本題に戻ろう。

 

 七月の初めの頃だったと思う。梅雨が終わって数日が経っていて、それを喜んでいるかのようにアブラゼミが馬鹿みたいに煩かったような記憶がある。

 なるべく人目につかない所へ、お寺の墓をくぐって、ロープが張ってある林道を抜けて。舗装もされてない砂利道をひたすら走り続けた。まるで、お化けでも出そうな暗い杉林を抜けたら、目の前に一軒の家があった。

 それなりに立派なお家で、なんというか周りが森に囲まれているのに、そこだけまるでぽっかりと風穴が空いたみたいだった。

 それでいて、不思議なぐらい人の気配がしなかった。縁側とかはとても綺麗だから、誰か住んでいそうなんだけど、なんだろう、すごく静かで。近くに流れている沢の音だけがずっと耳に響いていた。

 

 中を見てみたいなっていう好奇心と、不気味だから引き返そうっていう感情が、僕の中で戦っていた。でも、その時に頭の中に例のご近所さんの顔がちらついた。そして思った、「近づいたら怒られる。」って。田舎の人は、意外と土地に厳しい。それこそ、都会の人以上に。

 引き返そうと向き直ったら、後ろから、

「君はどこの子?」

って声をかけられた。あまりにびっくりして、「ひっ」とかいう間抜けな声を上げながら地面に転んでしまった。

「大丈夫?」

手を差し伸べてきたのは、僕と同じくらいの少年だった。

 僕はまず彼の足元を見た。慣用句じゃない、文字通り。ちゃんと足があるのを確認してから、僕は立ち上がった。土をはたきながら少年の方に向き直り、答える。

「山の下の、○○の信号の近くの家の。」

「××さんの家?」

「もう一つとなり。」

「ああ、△△さんの家か。」

「違うよ?」

「あれ、倉庫にはさまれてる家だよね。もしかして××さん引っ越しちゃった?」

「多分、その家だと思う。でも、前にいた人はもう死んじゃったって。」

 そう言った時、少年は少し悲しそうな顔をして、「そっか。」とこぼしていた。そのあとはうまく聞き取れなかったんだけど、「もうそんな経っちゃったのか。」、そうつぶやいていた気がする。

 

「それで、なんでこんなところに来たの?」

一番触れてほしくなかったことを、いきなり聞かれた。

「別に、ちょっと散歩に来ただけ。」

嘘だってばれないように、なるべく平静に言ったつもりだったんだけど、

「本当は?家出でもしたの?」

核心を突かれてしまって、僕は沈黙するしかなかった。そのまま、少しの沈黙が続いたのち、少年は頭を掻きながら、「まあ、いっか。ごめん。」と、そう言った。

 

 その少年は、なんて言ったらいいんだろう、ふわっとしていた。別に軽率そうとかそういうわけじゃなくて。どこでもいそうな気がして、何だったら会ったことさえありそう。僕は小学校に転校してきたばかりだし、ひょっとしたらもう会ってるのかも、とそう思った。

 

二人の間にひとしきりの沈黙が流れた後、突然その少年は手をたたいて言った。

「よし、じゃあ鬼ごっこしよう。」

「へ?」

唐突な提案に思わず変な声が出てしまう。

「何で鬼ごっこ?」

「えー、遊びって言ったら鬼ごっこでしょ。」

「二人でやるの?」

「細かいことは気にしない、はい君が鬼でスタート!」

言うが早いか、少年は山に向かって駆け出していた。

「しょうがないなあ。」

僕も渋々、後を追って駆け出した。

 

 この少年が速いのなんのって。思い出すだけでもすごかった。ほぼ道がない山道を、どんどん駆け上がっていくのだ。

 どれだけ頑張っても追いつけなくて、でもたまに「大丈夫?」って叫んでくるのが妙に癪で、息を切らしながら走り続けた。ようやっと追いついたころには、山を一つ登ってしまっていた。

 

「見て見て。」

本当にさっきまで走り回っていたとは思えないほど無邪気な声で、少年が指をさす。僕は、息が上がって字面に腰を下ろしたまま、顔だけ上げた。

 

 いつの間にか、目の前に木はなくて、ひたすら風景が広がっていた。それだけじゃない、ずっと遠くの景色まではっきり見えた。雲がゆっくりと動いていて、青空がいつもよりも近かった。僕はその風景を、口をポカンと開けながら見ていた。

 

「ここさ、僕のお気に入りの場所なんだ。」

「だから、内緒な。」

少年は人差し指を口に当てて、シシシッと笑っていた。

 

「ほら、見て。あそこが君の家だよ。」

少年が指をさす先を見ると、灰色っぽい瓦の家が見えた。

「小さいな。」

僕はそうつぶやいていた。

「小さいね。本当に。僕らの世界は小さいや。」

 

「あそこの奥の卵みたいなの、分かる?」

少年が指さす方を目を凝らしてみると、確かに卵みたいなのが見える。

「何あれ?」

少年はニヤッとして言う。

「あれさ、西武ドームなんだぜ。」

「あれが?」

「そうあれが。」

一瞬沈黙したのち、二人して大声で笑ってしまった。「小さいな。」って。馬鹿みたいにはしゃぎながら。

 

「辛いことあったらさ、とりあえず高いところ行けばいいんだよ。全部小さいなって思えるからさ。」

少年が空を見ながらつぶやく。

「でも、馬鹿は高いところに登るって言うよ。」

僕の言葉に彼はまたニヤッとして、

「馬鹿っていうやつが馬鹿なんだ。」

と言った。

「確かに。」

 また、二人して笑ってしまった。

 

 その後は、その少年がぽつりぽつりと景色の紹介をしてくれた。

「あの山にはイノシシの巣があるんだ。」とか、「あそこの斜面には冬になるとイチゴが生るから、ジャムにするといいよ。」とか、「あそこの林に餌を置いとくとミヤマクワガタ狙えるよ。」とか。

 

 ひとしきり話し終えたころには、少しずつ空が赤くなり始めていた。

「そろそろ帰ろっか。」

といった少年に、

「うん。」

と、名残惜しさを感じながらそう答えた。

 

来た道とは違う道で山を下りた。ある程度まで降りたところで、少年が、

「ここをまっすぐ行くと君の家の近くに出られるよ。」

と言った。

「君は大丈夫なの?」

と聞くと、「ここらの山は慣れてるから」と笑いながら言っていた。

 

「それじゃあ、また会えたら。」

僕がそう言うと、「うん。」と少年がうなずきながら手を振ってくれた。

 

山道を抜けると、そこは僕の家の裏手だった。来た道を振り返っても、そこには道なんてなくて林があるだけだった。

 

帰宅した僕を待っていたのは、「やまなしの件」と「家出の件」による猛説教だった。それぞれの件に関して、一時間ずつぐらいお叱り受けた記憶がある。なかなかに怖かった。

その説教のせいで、僕はしばらくその少年のことを忘れてしまっていた。でもその年の八月に、かなり大きな台風が来て、不意に、あの家は大丈夫なんだろうかということを思い出した。

 

 台風が去って、沢の水も引いたころ、一人でもう一度あの少年に会いに行こうとした。お寺の墓場を抜けて、林道のテープをくぐって。

 もう分かったと思う。そこには家なんてなくて、ただ、森にぽっかりと穴が開いているだけだった。言うまでもなく、学校でもその子に会うことはもちろんなかった。

 

 彼は何だったのだろうか。もしかしたら山の神様とか、幽霊かもしれない、ひょっとしたら、狸に化かされたりしたのかも。だったら、ちょっとかわいいなと思う。

 

 ともかく一つだけ、あの少年と会ってから、田舎もそこまで悪くはないなと思えるようになった、そんな話。