ひより系寮生の戯言

  寮の話。

  最初に断っておくけど、別に恵迪寮が嫌いなわけではないです。僕の友達の約半分が寮生なのは事実だし、生活費が安いおかげでめちゃくちゃ助かってるし。部屋にいつも人がいるのは安心するし、「ただいま」や「おかえり」が言えるのは幸せなことだと思うし。

  だけど、複数部屋に暮らしているくせにどうなんだって話なんだが、「寮の文化」には僕はどうにも馴染めない部分がある。

  なんでだろな。たぶん、「文化」を盲目的に継承してるからじゃないのかなと思う。とても失礼な物言いなのは承知の上ですが。

  「北食前情宣って例年通りでいいんか?」って議論は存在していたと記憶している。まあ結果はご存知の通り。

  色んな意見があるけど、例えば個室勢(いわゆる「恵迪寮生」的ではない方々)からすれば愉快じゃないと思う。だって、彼らはああいうことしないのに「寮生」として同一視されうるから。

  個室勢の友人が、自分から「恵迪寮在住」を名乗ることがない(名乗れない?)のはそういうことじゃないかと推測する。

   逆の意見もある。「こんなこと寮生でしかできないから、やるべきだ」って言う意見。こっちは複数勢(いわゆる「恵迪寮生」的な人が多く属する集団)の意見だと思う。

  うーん、一理はあると思う。僕も寮歌歌うの結構好きだし、相撲大会も楽しみだし。こんなこと寮生じゃなきゃできないね。女装も新鮮でちょっと楽しかっ…今のやっぱ無し。

  ただし、そういった「文化」は常に「再検討」をし続ける必要があると僕は考える。

  色々例が出せるけど、書けるものがなかなかないねえ。自分にも不利益が及びうるので。

  例えば、部屋回りでサクシュ川に入って心臓麻痺した寮生がいたらどうしよっか。または、ファイヤーストームで重大な事故が起きたら?とかかね。(外部から聞いたらやばそうに聞こえるけど、内部にいる人からすると当たり前に存在してきた「伝統」なんだよね)

  どうもそういう風に、「伝統」を大義名分として過激なことを反省(=再検討)なく続けてる節がある気がして、僕はその点が好きじゃない。

  北食前情宣の件についても、盲目的に続けられてる点がどうにも好かない。寮の多数派である個室勢の目線に立ったらどうなんだろうか?もっとも、実行するのは複数勢なので、認識に乖離があるのは当然といえば当然だけど。

  落としどころが見えねえなこの話。

  僕個人の意見を口にすると、やっぱり恵迪寮が「経済的困窮者のための厚生的施設」である以上、一部の人によって過激なイメージがもたらされて、入りたいけど諦めてる人がいるんじゃね?っていう懸念があるのが残念なんです。その点から、やっぱ程々にしとくべきなんじゃないかなと思うのです。

  「程々」の落とし所は明確には言いがたい。だけど、「再検討」のプロセスを踏むことで今の現状よりマシな妥協点が見出せるのではないか。僕はそんな風に思います。